夏休み。時間が許すと本を読みます。一郎先生の書かれた文章を読み返しますと、いろいろな発見があります。

次の表現は一郎先生ならではのものだとあらためて感じました。

よく世間では、ものごと決着のつかないとき、さいごの手段として、単純明快な“ぐう・ちょき・ぱあ”に解決を委ねることがあります。
では、ぐう・ちょき・ぱあのうち、いちばん強いのはどれなのか?どの手を出せばかならず勝てるのか?となりますと、これだ!という決め手はありません。
(中略)
ぐう・ちょき・ぱあの三者は、それぞれ独自の良さを生かしながら、それぞれの弱点を補い合っていると言えましょう。   
これと同じようなことは、イソップの「北風と太陽」の話にもうかがえます。ご存知の通り、北風と太陽は力くらべの結果、太陽が旅人の外套を脱がせて勝った、ということになっています。この話の原話ではさいごに、
「温情は暴力に勝る」
という教訓で締めくくっています。
ですから、勝った負けたで言えば、あきらかに太陽の温情が、暴力の北風を制したことになります。では、太陽はすべてに完全かといえば、必ずしもそうとはいえません。
たまたま、“外套の脱がせくらべ”だったから太陽が勝ちましたが、これが“落ち葉の吹き飛ばしくらべ”だったら、どうでしょう。いくら太陽が温かい光を注いでも、落ち葉一枚動かすことはできません。
それどころか、時には、太陽の光の強烈な炎天下では、人を熱射病に追い込むことだってあります。考えようによっては、これは太陽の暴力といえなくもありません。
北風は、やんちゃで暴力のかたまりのような印象を与えますが、反面、雪を降らせて子どもや大人たちに冬の喜びを満喫させうる、温情の持ち主ともいえましょう。
このように考えますと、誰が強くて誰が弱い、何が良くて何が悪いということは、一概に言えないのではないでしょうか。

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