今日は年長のクラスで俳句の時間を持ちました。はじめに挨拶をして黙想をします。今日は、今まででの中で、一番集中できていました。

黙想、黙想・・・と一口に言いますが、その趣旨はなんでしょうか?

私なりに考えると、呼吸で言えば深呼吸にあたるのではないかと思います。

息を吸うのはあたりまえです。その当たり前の日常をちょっと疑ってみる。深く息を吸い、息を止め、自分の呼吸を意識してみる。深く吸って深く吐く。ただそれだけですが、深呼吸の後はなぜか日常が新鮮に感じられます。

子どもたちを取り巻く環境は社会的にどんどん変貌を遂げています。テレビやビデオ、ゲーム機器などによる電気仕掛けの音が氾濫し、耳をふさいでもあらゆる方角から子どもたちの平安を脅かします。スーパーに入っても、エレベーターに乗っても「親切な」BGMは鳴り止みません。

そんな音の氾濫する文明生活を当たり前のように送る子どもたちですが、時にはクラスの全員で目を閉じ、全身耳になって鳥の声を聞き分けるもよし、部屋の時計の針の音が聞こえたと感じるもよし、何も考えずぼーっとするのもよし、です。

光の氾濫する日常生活。ときにはライトを消し、ろうそくに火を灯すのもよいでしょう。

文明からちょっと距離を置いたところにほっと安堵の気持ちをもつのは、大人も子どもも変わりません。

本園は、市街地からちょっと隔絶された緑あふれる自然環境の中にあります。毎日、その世界の中に歩いて通うわけです。

その意義は、上で述べた意味において、どこか俳句の時間の黙想に通じるところがあると感じるしだいです。

そう思って日常生活を見つめてみると・・・。

子どもたちの周りには、玩具やお菓子が夢のようにあふれてやまない現代生活。

よかれと思って買い与えた学習教材が横溢し、おなかいっぱいなのに「もっと食べよ」、「もっと口をあけよ」と迫るプロの教育機関の殺し文句。「・・・では遅すぎる」、「こんなにおできになるのに何もしないのはもったいない、かわいそう」等。

個々のものがいけない、というのではなく、個々を許容し出すとトータルで見た結果、ノイズとジャンクの山となる。

英語にレス・イズ・モアという言葉があります。

このテーマで次の小さなエッセイを書きましたので、よろしければご一読ください。山の学校の巻頭に書いた一文です。

>>LESS IS MORE――十年目の挑戦

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