土曜日は無事に第62回卒園式を行うことが出来ました。卒園証書を手にする一人ひとりのお顔は真剣そのもの。入園当初の面影は残しながらも、本当に立派に成長されたと強く感じる瞬間です。

式辞で私がお話した内容はこれからの学校での勉強にかんするものも含まれました。「勉強は競争ではない」と申しました。

もちろん、競争の部分もあります。競争はゴールを決めるから競争できるのですが、本当の勉強にゴールはありません。本当に立派な勉強は、(一見ゴールに思われる)100点でなく1万点をつけたいものです。そういう桁外れの勉強に夢中になってほしい。そういう気持ちをこめてこのメッセージを伝えました。どんなジャンルでもよい。世の中のために、自分の学んだことが生かされる道がかならずある。その道を見つけるために、日々の勉強に意味がある。私はそう信じています。

この日は朝から雨でした。記念写真は園舎の中で行いましたが、懐かしい「つきぐみ」のお部屋で写真が撮れたことはかえってよかったかもしれません。いつか来る、そう漠然と思っていたその日がついに訪れた。そのことを深くかみしめつつ、子どもたちの未来に幸多かれ。そう心から願わずにいられませんでした。

卒園式に続き、保護者の主催による謝恩会を開いて頂きました。

食事会は第一園舎にて和やかに、お楽しみ会は第三園舎で和気あいあいと。涙あり、笑いありの楽しいひとときでした。時間よ止まれと願うも虚しく、あっとまのお開きとなりました。随所に保護者の手作りあふれるご用意の品々に接して感動し、また、「母の舞」では、子どもたちのリズムバンドやお遊戯をお母様がたがみごとに「再現」してくださるなど、拍手する手が痛くなって腫れ上がるほどでした^^ 子どもたは「本物」の前には「沈黙」する。この教育の原理をあらためて思い知らされたほど、誰もが息を飲んで見つめました。

先生の「劇」は、時間がない中、よくがんばりました。日頃先生たちにこのような才能があることに気づかない私は大事なものを見ていないのかも知れません(笑)。

出し物に際して所々でいただく保護者からのメッセージは真心がこもっていて、胸を打ちました。

謝辞にも心熱くなりました。日々五里霧中。まっしぐらで取り組むのみ。自分たちの「姿」を見る鏡をいただいたようなお言葉でした。そのように見てくださっているのか、という思いはとても「感謝」という二文字で言い尽くせぬものでした。

私は最後に蕪村の俳句を紹介しました。園児と最後の俳句の時間をもてたことは心に残る出来事です。「春の海 ひねもすのたり のたりかな」。ひねもすとは一日中という意味です。

およそ教育は、目標を定め、懸命に努力する価値観を応援するものです。この考えと対照的な価値観がこの俳句にはこもっています。ふりかえれば、昨年四月は一茶の「かたつぶり そろそろ登れ 富士の山」を紹介するところから年長児の俳句をスタートし、最後に蕪村のこの俳句にたどり着きました。一茶の「かたつぶり」のように、山頂めがけて努力する姿は尊く立派です。他方、波打ち際に身を横たえ、空を見上げ、海を見続ける時間も大事にしてほしい。

最初にあげた、「勉強は競争ではない」。蕪村の俳句を紹介した気持ちの根っこには同じ気持ちがあります。

山登りの幼稚園です。山登りを否定するつもりは毛頭ありません。しかし、それがすべてではありません。

涙も笑いも、言葉も、言葉にならない言葉も。

どれもこれも、みなすべて尊い人間の営みです。どれかをとり、どれかを排除するのではなく。

時計を見て仕事をする時間。時計を外して空を見上げる時間。

全部大事にしてほしい。

私が園児に伝えたかった意味はここにあります。

では、みなさんごきげんよろしく、さようなら。

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