学校教育で文字を使うのは当たり前だと思われています。幼稚園によってはその先取りとして文字を教えるところもあるでしょう。本園はあえて文字を教えることをしていません。年長児に俳句の素読をするだけです。なぜかと言えば、言葉とのつきあいの最初の段階では、文字でなく自分の耳を頼りにしてほしいと考えるからです。

たとえば俳句にしても、文字を使うと家で予習も復習もできるので効率的に違いないと大人は考えます。しかし、「その場」で集中して先生の言葉を聞くという態度はおろそかになります。文字を使うと、「後で読めばいい」とならないでしょうか。何事も適齢期があって、幼稚園児が得意とするのは、目で見て文字を覚えることではなく、耳で聞いて言葉を記憶することだと思います。

さて、そんなことを思っていたら、今から2000年前のローマの英雄がヒントをくれました。そうです、あのカエサル(シーザー)が同じことを述べているのです。

カエサルによれば、ガリアの支配階級ドルイド僧の教育は文字を使いませんでした。弟子たちには口伝えで教義を教え、文字に記録することを許しませんでした。「学ぶ者が文字に頼って暗記に精を出さなくなるため」とカエサルは説明しています。

ここで言う暗記とは、耳で聞いた言葉をそのまま記憶し復唱できることを指します。耳で聞く機会は限られるので、いきおい集中力が鍛えられます。カエサルも、戦場という現場では、その場で交わす言葉に何より信を置いたわけで、文字を使わないドルイド僧の教育に共感したふしがあります。

では、実際に園児たちはどの程度まで耳で言葉を把握し記憶できるのでしょうか。最初にお断りしておくと、本園で俳句の時間をもつのは週に2日だけで、時間にして10分から15分程度です。また、今どんな俳句に取り組んでいるのかを紙に書いて保護者にお知らせしていないので、家で予習・復習はできません。一方、私が子どもたちに紹介する俳句は学期ごとに4、5句ほどで年間で15句足らずです。

子どもたちが一週間で俳句に接する時間は全体の活動から見ればほんの微々たるものであり、教材として扱う分量もほどほどであるということです。しかし、子どもたちの記憶力は素晴らしく、正座をして繰り返し(回数にして15回程度)声に出せば、その日のうちに一つの俳句をまるごと暗記します。たとえば、「かたつぶり そろそろ登れ 富士の山 一茶」を初めて子どもたちに紹介した日、全員で何度も声に出した後であれば、私が最初の二文字(「かた」)と声に出すだけで、皆でその続きをきれいに朗唱できます。続いて、「発表できる人はいるかな?」と尋ねると、自信のある子が挙手をして直立し、五、七、五プラス作者名をしっかり声に出して発表します。その数は一人や二人ではなく、二学期の終わり頃であれば(年によって差はありますが)、ほぼ全員が一度で覚えて全員の前で発表できます。

私が子どもたちと俳句に取り組む中で感心するのは、そうした「瞬発的な」暗記力だけでなく、「持続的な」暗記力です。一学期の終わりに5句程度覚えた時点で、私は意地悪なテストをすることがあります。「最初に習った俳句は何だったかな?」と。それが思い出せたら「その次は?」と順に聞いていくのです。一学期なら全部を順に思い出せる子は半数近くいます。年間の終わりに一年分(合計15句程度)を思い出せる子が毎年1、2名はいます。

実感として言えば、毎日俳句の時間を30分確保し、一つの俳句を覚えるごとに、最初に覚えた俳句から順に復習する時間を設ければ、この数字は飛躍的にアップするでしょう。しかし、あえてそのような無理はしません。俳句の時間を増やすと逆に俳句嫌いを増やすと危惧されますし、今急ぐ理由はどこにもないからです。かりに保護者の中で、もっと我が子の暗記力を伸ばしたいと思う方がおられるなら、ご家庭で本の読み聞かせを日常的に継続すればよいとお答えしたいと思います(この話題については稿を改めて論じます)。

本園のように幼稚園で俳句の暗記をしていれば、本の読み聞かせの内容を数回でそらんじる子どもがいても驚きではありません(じっさいそのようなお声を頂戴することがあります)。しかし重要なのは、俳句にせよ読み聞かせにせよ、他人との競争でやっているのではないという点です。子どもたちは純粋に耳に入る言葉の音色に興味を持ち、それゆえ自然と暗記ができるのだと思います。先は長いので、本の読み聞かせだけは細く長く続けてください、とお願いしたいです。

さて、ふたたび子どもたちの音を聞き分ける力に話を戻します。その能力の高さについて、私は何度も驚かされることがありました。ある日の俳句の時間のことです。課題の俳句を繰り返し声に出した後、私はいつも子どもたちの作った俳句を紹介するようにしているのですが、この日Sちゃんの作った俳句は次のようなものでした。

ことりはね ぴよぴよなくよ かわいいな

その後、いくつか別のお友達の俳句を紹介した後、Aちゃんの俳句を紹介しました。こんなのです。

ことりさん ぴよぴよないて かわいいね

この俳句を紹介したとき、子どもたちから「さっきのとおんなじやー」という声が上がりました。Sちゃんの俳句とAちゃんのそれと。文字で書くと明らかに違いますが、耳で聞いた記憶だけでは確かに同じように聞こえます。

「よく注意してきいてごらん」と言って、もういちど二つの俳句を読んでみました(子どもたちは、お友達の作った俳句も私の後について復唱します。

すると、あちこちから違いの発見を指摘する声が上がりました。「『ね』と『さん』がちがう!」とか、「『なくよ』と『ないて』はちがう!」、「『な』と『ね』がちがう!」といった具合にです。子どもたちの集中力はたいしたものだと感心した次第です。俳句を作った二人の子どもたちも、それぞれの著作権が保証され、ご満悦だったと思います。

次に、もう一段グレードの高いエピソードを紹介します。その日(木曜日)に紹介したAちゃんの作品に、「うさぎはね ぴょんぴょんはねる おもしろい」というのがありました。これは火曜日に紹介した「うさぎはね ぴょんぴょんはねて おもしろい」というBちゃんの俳句とほとんど同一です。「あ、前にあった!」と言う子どもたち。「どこが違うかな?」と聞くと、みんな黙って考えはじめました。しばらくして「『る』と『て』が違う」と正解を言い当てる子が現れました。ご名答です。

じつは、これらの作品のルーツは、ひと月前に紹介したCちゃんの「うさぎはね ぴょんぴょんとんで おもしろい」でした。「だいぶ前にCちゃんの俳句で似たのがあったね。どこが違うかわかる人はいるかな?」と聞くと、しばらくしてから、また「Cちゃんのは『とんで』やった!」と正解を言う子が現れました!これには先生同士顔を見合わせて驚きました。子どもたちの記憶力は本当に素晴らしいと思いました。

以上述べたとおり、幼稚園の子どもたちには本来すばらしい記憶力が宿っています。それを発揮させずに文字を先に読ませるのは時期尚早である、という以上に、もったいない話だな、と私は考えます。もちろん、文字とつきあうことは大切なことです。子どもの側から「これはどう読むの?」と聞かれたときや、兄の真似をして文字を書きたいと言われたときは、できる範囲で教えてあげたらよいでしょう。しかし、園生活の集団教育の中で、言葉の教育をどうするかと問われたら、私は、耳を頼りとした言葉とのつきあいを優先したいのです。

今の時代は、年齡の早い段階から、あまりに文字に頼りすぎる傾向はないのでしょうか。カエサルの警告ではありませんが、それをあてにしすぎると、記憶力だけでなく、対話の力も落ちていくように思います。

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