小学校以上の勉強の基本は「文字を読んで理解する」ことだと思われます。

幼稚園時代に、子どもが文字に興味を持てば、その姿勢を無理なく応援することは大切です。しかし、急ぐ必要はまったくありません。

年長の子どもたちは俳句を作ることができます。字を覚えるよいチャンスですが、園では集団教育として字を教えることはあえて行っていません。

数字や文字は無理のない範囲で「親しむ」程度にとどめた方が、伸びしろが守られるでしょう。一番まずいのは、「嫌になる」というオチをつけることです。集団で何かの方向付けをすると、どんなに工夫しても「嫌になる」子が出ます。

理由はオーダーメイドでないためです。

もちろん集団である方向付けを行えばメリットもあります。大人が切磋琢磨する空気を演出できたら、子どもたちはぐんぐん伸びるでしょう。

ただ、勝負すべきときはまだまだ先にあります。無理に集団での高揚感を煽りすぎると燃え尽きるリスクも伴います。

よって、園では文字については俳句の素読にとどめ、ある意味じらした形で、小学校の備えとします。

集団教育に対するオーダーメイドの教育は、家庭教育です。

家で子どもが字に興味を持てば、遠慮なく応援すればよいと思います。ただし、さりげなく、根気よく。

さじ加減は親が一番よくわかるはずです。ヒントは腹八分目。薄味でないと長続きしません。

子どもがやる気を見せたからと言って、あまり真に受けず、興味が長続きすることを何より大事なことととらえてもらえたらと願います。

といって、教えるときは、できるだけ丁寧に、心を込めて。料理もそうでしょうが、「丁寧な薄味の料理」というのはありえると思いますがどうでしょうか。もちろん、食べきれるだけにする、という意味で「腹八分目」の分量にとどめて。

文字に興味を持つ入り口は、なんといっても絵本でしょう。

親が楽しそうに絵本を読めば、子どもは真似をしたがります。親がその時間を楽しいと思うことが一番大切です。

義務意識を感じるなら、やり方を見直す必要があります。本の選択、読む時間帯、長さ、その他、いろいろと。

子どもは、同じ本を何度も読んでもらったなら、親がいないときにその本を開き、「あの音はこの文字だったのか!」と辿るかもしれません。

親は淡々と本を読んで聞かせることに徹すればよいでしょう。「今日は字を教えてあげる」とせず、聞かれたら答えるという「受け身」のスタンスで十分です。へたに攻めると「もういい」となるのが見えています。

こうして、読み聞かせをじくにして、「つかず離れず」文字と付き合う形で小学校に上がれば、そこで待ち受けるのは文字の学習です。

待望の学習となるのか、たくさんの課題が待ち受けるとひるむのか。

私は、その鍵は、幼稚園時代に家での「絵本タイム」を楽しく過ごしたかどうかが鍵だとみているので、このことを繰り返し書いています。

文字の世界へのあこがれ、期待、尊敬があれば、学校の勉強は前向きにとらえられます。

絵本の読み聞かせも、園でやっている俳句も広い意味で「素読」の一種です。

素読のよい点は、体で覚えることで、想像力もふくらみますし、そのあとで、書かれた文字と出会えば、「あの音はこの文字だったか」と合点できます。おおげさにいえば、感動が待ち受けています。(私は論語の素読でそれを実感しました)。

最初から文字を教えるのは一見合理的ですが、大事なものをそぎ落としています。合理的なメソッドはすきがないのですが、大人の「仕事」に近い位置づけになりがちです。それにたいして、私の提唱しているアプローチはあくまでも「遊び」の範疇です。どちらが長続きするでしょうか。

学校の勉強は、小学校だけで終わりません。中学以上も見据えるなら、断然「長続きする」道を選択すべきだと思います。

その意味で、耳から聞いてイメージを膨らませてから文字に出会う道順がおすすめです。

そうすれば、子どもは「強いられている」わけでなく、興味が尻上がりにふくらむので、小学校に入ってからの「のびしろ」が守られつつ、やがて自分で図書館で本を読み始める、といった展開も期待できます。つまり、独学できるようになります。言われてやるのではなく、自分からやるタイプの子どもにどうすればなるのですか?とよく質問されますが、その秘訣はここにあります。

私はこの観点からも、読み聞かせを推奨しています。

肝心の学校での本読みですが、読み聞かせを日常的に経験した子は、話の展開を体で実感できているので、この点有利です。たとえば、「しかしある日のことです」とあれば、この先に何か事件が起きると期待し集中力が高まります。

本を読む上で、接続詞の理解は不可欠ですが、黒板を使ってそうした文法的なことがらを学ばなくても、小さい内にたくさん本を読んでもらった子は、ごく自然に接続詞の使い方や、主語と述語の一致の関係などが飲み込めています。

先を予測しながら読むというのは、日本語に限らず英語の読解においても大切な作法です。その基本をさかのぼれば、幼少時の読み聞かせに行き着くと私は見ています。その経験が豊富であることは、人生の宝です。

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