大人の社会を見回しても、仕事は早いけれど雑な人もいれば、仕事は遅くても丁寧な人もいます。仕事は雑でもスピードが大事という場合もあります。たとえば運動会のパン食い競走などの場合(笑)。パンをゆっくり味わって食べていては勝負に負けます。話は飛んで、世で言う「受験」はどうなのか?というと、しばしば、このパン食い競走に似ていると思えます。学校での成績の評価は、ものをじっくり味わって学ぶ態度を評価する立場と一致する場合もあれば矛盾する場合もある、というのが実際の所でしょう。

結果を気にしすぎず(山道に喩えれば、どの道も結局の所は頂上につながっているので)、プロセスを楽しむ余裕がもてたら・・・と思うのですが。小学校時代はその余裕をたくわえる大切な時期ではないかと思います。この余裕、すなわち地力のある人は、アクセルを踏むほど中高時代に大きく伸びます(成績だけでなく、勉強を楽しむ余裕を持てるようになります)。小学校時代の蓄えが少ないと、がんばろうと思うほど、自転車操業状態になります。

小学校時代の蓄えを豊かにもつには、じつは見落とされがちですが、幼稚園時代にできるだけたくさん遊ぶことが大事になります。「遊びが勉強」という意味については、言い古された感がありますが、子どもの目線に立って、本当に無我夢中で遊ぶ時間がどれだけもてているのか、立ち止まって考えてみてよいかもしれません。

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