今日は引率中に感動することが二つありました。

一つ目。朝の登園時。他のお友だちと手をつなぐのにちょっとためらいのある年少児。手を差し出しながら、つないでもらえず(ふつうはイライラするところですが)、根気強く「つながな危ないで。」と優しく言って聞かせる年長男児。

子どもは、だれもが言われて「ハイ」とすなおに返事するとは限りません。むしろその逆が多いです。その年少女児も、お兄さんに言われるほど、手を引っ込めてますますつなごうとしません(片手は私とつないでいたので年長男児が心配するほど危なくはありませんでしたが)。

山道に入り、私は先頭をYūka先生にかわってもらい、その二人と一緒に列を見送りました。そのさい、ほかの年少児がしっかり手をつないでいる光景をいっしょに確認しました。

「Aちゃんつないでるね」、「Bちゃんもしっかりつないでるね」、「Cちゃんはどうだろう?あ、ちゃんとつないでるね」という具合に。

そうして全部の列を見送ってから、「さあ、どうしよう。幼稚園はお手々をつないでいくところ。どうする?」と女の子に言うと、ゆっくり指を一本だけ出して、年長児とつなぐことができました。

そして何事もなかったかのように列の最後尾に追いつき、冗談を言いながら石段の天辺まで登りました。

天辺に着くと、「部屋に送ってあげようか」と年長児。女の子はどうするかなと思って見ていると、写真のようにちゃんと手をつないで部屋まで二人で行きました。

めでたし、めでたし。

二つ目。

今日の帰りは最後の最後に年少児が四人だけになり、二人ずつ手をつないで帰りました。

公園が近づくと、それまで元気だったのに、なぜかお母さん恋しさから、涙ぐむ女の子。

すると、別の女の子が後ろを振り向いて、「だいじょうぶ。ママいるからね」と励ましました。それも2回。

ああ、なんと麗しい場面に出会っていることか、と感動しました。

私の想像ですが、「だいじょうぶ、ママいるからね」は、その子自身がお母さんに励まされる(励まされた)ときの言葉だと思います。

ここぞ、というときにその言葉を使えることもすごいですし、言われた女の子も、一瞬「?」と不思議そうな顔をしていたのだが印象的で、返事こそなにもしませんでしたが、きっとうれしい気持ちが心に満ちたと思います。

上の二つの例は、私が遭遇したほんの一例です。

4月から今日まで、無数に子ども同士の励まし合い、助け合いの場面はあったはずですし、これからもあり続けるでしょう。

大人が腕まくりして「がんばろう!なんとかしよう!」と思う気持ちも大切ですが、こうした子どもたち同士の連帯による助け合いは、想像以上に大きな力になっていると思います。

今日私の心を揺さぶった二つの言葉、1つ目の「つながな危ないで」は、じつはその男の子にかつて私が何度か伝えた言葉だったと思い出します。2つ目の言葉「だいじょうぶ、ママいるからね」も上で述べた通り、お母さんが心を込めて伝えたメッセージだったと思いますので、大人の一生懸命の想いは、すぐにその場でとはいきませんが、時間を置いて必ず報われると思う日が訪れると思う次第です。

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