「言葉の重み」:園長日記より
2010-01-20 (水)
昨日俳句の時間を持ちました。俳句に入る前に、「言葉」の重みについて話をしました。
年長児ともなると、言葉ひとつで大人にも大きな力を及ぼします。プラスにもマイナスにも、です。意味をよくわきまえずに安易に使った一言は、友達だけでなく、先生や保護者といった大人の心も傷つけることがありえるということについて話しました。
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2011年7月31日 | コメント/トラックバック(0) |
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一進一退――園長日記より
子どもたちの様子を見ていますと、日々「一進一退」といった部分があります。そのような細かな変化(アップダウン)を見ることができるのは、いわば子どもたちとの距離感が近いせいでもあります。
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2011年7月22日 | コメント/トラックバック(1) |
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励ます言葉――園長日記より
本園の先生は優しいとよくいわれます。「ぜったい怒らはらへん」というお声もいただきます。たしかに「怒る」ことはありません。自分の感情にまかせて子どもに接することは教育ではないからです。しかし、本園の先生は優しいだけではなく、芯に厳しさも兼ね備えています。それでこそ教育だと私たちは考えています。
子どもたちにとって、日頃優しい先生に、ここぞというときに叱られるとき、その言葉に重みとありがたみを感じるものです。昨日の保育日誌から一例を挙げましょう。
年長クラスでは、昨日合同で体操遊びに取り組みました。両クラスの間の扉を開け放ち、踏水会で習った様々なポーズで端から端まで移動することに挑戦していました。
自ずと白熱した競争になります。皆の勢いもどんどん増していきます。両クラスとも元気いっぱい充実した取り組みができたのですが、途中でちょっとしたハプニングがありました。
上靴が脱げたといって「僕はやらへん」とむくれる子が現れたのでした。先日「男はな」と友だちを励ましたKちゃんです。男の子の常、一度へそを曲げるとなかなか元に戻りません。
さて、担任の Sae 先生はそのとき何と言って彼が再び取り組めるように促したでしょうか^^
「先生はKちゃんがやらなくてもかまわない。でも、Kちゃんはそれでいいの?」
この言葉でKちゃんの心に火がついて、Kちゃんは再び力を込めてがんばりました。
こういうとき、先生としてどういう言葉をかけることができるか?重要ですね。「みんなやっているから、あなたもちゃんとやりなさい」という指示が一般的かもしれません。
これだとそのままの命令文で効果が薄いものです。命令文を駆使すると、肝心なときに言葉の強弱でしか言葉の重みを調整することができないので、効き目が薄くなっていくわけです。
やはりポイントは言葉の「中身」です。
私は上の先生の台詞は自分の本音を隠し、問題の本質に光を当てている点で効果的だと思います。がんばってほしいのは先生の本音であっても、「わたしのためにがんばって」という言い方は子どもにとっても、本能的に「それは違う」と直感するものでしょう。
中身をどう工夫するかについては、日頃から自分が子どもになってあれこれ想像することが大事です。自分が子どもであれば大人に何をどういわれたいかをよく考えることがコツです。
お山の先生はたしかに怒ることはありません。しかし、怖いわけでも甘いわけでもなく、ただ、人間として子どもたちを愛し、一人一人の喜怒哀楽をわがことのように受け止める先生がそこにいるだけです。どの先生も、子どもたちの心の成長を支えたいといつも願っている、このことは確かにそうだと私は言えるように思います。
(山下太郎 2010.7.13)
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2011年7月13日 | コメント/トラックバック(1) |
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バランスをとることの難しさ――園長日記より
2010-02-03 園長日記より
例年、三学期の今頃は、発表会に向けての取り組み一辺倒になりがちです。気をつけてもバランスをとることは難しいのです。
昔から、よく遊びよく学べといいますが、本当にバランスをとろうと思ったら、放っておくとやらないことを一生懸命にやる、と心に決めないとうまくいきません。
こう考えて、自園の取り組みをいつも客観的に見ないといけないと常々思っています。
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2011年7月9日 | コメント/トラックバック(1) |
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身体で学ぶこと――園長日記より
昔は当たり前のようにしていたことで、今その取り組みの絶対量が不足していることは多々あります。歩くということもその一つでしょう。それと並び、ものの道理を身体で学ぶ経験も減少傾向にあるでしょう。
たとえば、一本の棒を用意し、二人で両側から引き合います。複数人数で行う競技もあります。これを子どもたち二人で勝負してみるのです。力をいっぱい出し切って競い合う経験は、身体によいという以上に、心の面で、大きなプラスの意味を持ちます。
何に効くのかというと大きくいえば順法精神です。子どもにとっては相手との信頼関係の中で力を出し切る爽快感が得られます。しかし、この勝負は大人の見守りなしにはうまくいきません。一方がふざけて棒を手放したら危険だからです。大人はそのルールを事前に真剣な顔で伝えなければなりません。それでも片方が(おもしろ半分)ルールを破り、相手を故意にこかしたとします。この卑怯な行為はレッドカードものです。大人はここでどれだけ厳しく叱っても叱りすぎはないのです。逆に、ルールをしっかりまもって、互いが勝ち負けを超えて力を出し切れたなら、大人は両者のスポーツマンシップをおおいにほめるべきでしょう。
このように、子どもたちをおおいにほめるには、万一の場合も想定し、おおいに叱る心構えを持つことが不可欠です。大人がこのメリハリを大人がわきまえておかないと、この手の取り組みはすべて失敗します。相撲でいえば「行司」の役割は大人しか果たせません(これを子どもが行うことはできません)。
世の中を見渡すと、男の子なら誰もがもっている闘争心がトラブルの元とみなされ、その健全な発露の機会が少なくなっているように見受けられます。
この力を十分出し切らずにためこむと、気持ちのくすぶりが小さいトラブルを誘発するように思われます。車も渋滞ばかりだとエンジンによくないのと同様です。たまに高速道路でスピードを出すことにより、エンジンのくすぶりはなくなるといわれます。
今述べた考えは、家でも園でもあちこちに応用範囲が見つかると思われます。導入は、お相撲でも縄跳びでも、鉄棒でも、ボールを使った取り組みでも、なんでもよいでしょう(工夫の余地は無限にあるはずです)。実際、男の子だけが夢中になる取り組みというのは少ないはずです。大人が子どもに真剣勝負を挑ませる機会は、男児、女児の違いを超えて、見つけることができると思います。
このようなことを今日のお昼時に Ikuko 先生、Ryoma 先生とお話ししておりました。
蛇足ながら。今私が子どもたちとの間で交わしている「真剣勝負」があります。時間は数秒で終わります。子どもたちは「やって!やって!」と群がります(オーバー?)。これはとくにお父さんにお勧めです。それは力を込めてギューと握手してあげることです。「これは小学校1年生レベルだよ」とか言うと、「ぜんぜん痛くない!」と年少児でも胸を張ります。おもしろいのは、周りの子どもたちが私が力を入れて握手している相手の子どもの表情を真剣に見つめていることです。「もしかしたら泣かはるかもしれない」という微妙な緊張感が子どもたちをそうさせます(それは大人としての私が演出しなければならない大事な要素であり、この取り組みのエッセンスでもあります)。
じつは、こんなことはそれぞれのご家庭で、お父さんがすでにやっておられることかもしれません。ただ、園は子どもたちが複数居ますので、「ぼくも!わたしも!」と連鎖反応が起こりやすく、場にいる「みな」でちょっとした「できた!」の気分をシェアできます。
ギューと握る。それだけです。元気のない子にもギューと握り、「力をいっぱいあげたよ」と言い添えます。最初から元気な子には「その力で先生のお手伝いをがんばってね」とも。ギューと握る。これは私からの「がんばれよ!」の真剣なエールです。大人なら誰でもできることだと思います。
(山下太郎 2009.7.1)
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2011年6月11日 | コメント/トラックバック(1) |
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