この道50年──第7章 一〇周年と五〇周年

通過点の一日

一九〇〇年代最後の年九九年が、当園の創立五〇周年の年度に当たる。創立記念日は二〇〇〇年代初頭の二月一一日という、どちらも切れ目の年である。

五〇周年といえば、どの企業、どの学校においても当然、記念式典、記念パーティー、記念事業、記念誌の発行等々、さまざまな行事が華々しく催される。

しかし、それらのために保護者の皆さんに割いていただく多くの時間と、ご負担いただく多額の費用のことを考えると、私には到底それは出来ない。

それよりもっと大事なことは、私ども幼児教育に携わる者にとっては、幼児との日々の触れ合いにこそ命があり、喜びがある。一日としてそれを疎かにするわけにはいかない。

五〇周年の年の創立記念日といえども、通過点の一日に過ぎない。前の日も後の日も、同じ大事な幼児との触れ合いの一日である。記念の催しの準備や後始末のために長期間を充てるには忍びない。

この一日を、静かに迎え、静かに送る日としたい。そして、過去を振り返り、過去を支えていただいた多くの方々に対して、心静かに感謝の意を捧げる日としたい。そうした考えに基づいてすべての行事を行わないことにした。

一〇周年記念式典

ところで、過去を振り返って見ると、実は創立一〇周年の年には、一応きちんとした記念式典を催している。さいきん整理しているうちに、一〇周年記念式典の資料として当日のプログラムが見つかった。それによると、つぎのような内容で行われていた。

創立一〇周年プログラム

時: 一九五九年(昭和三四年)一一月二三日(祭日) 午前九時半~正午

所: 北白川小学校講堂

主催: 北白川幼稚園・北白川幼稚園母の会

記念式典次第

一、開会のことば(母の会)

一、園歌「お山の幼稚園」斉唱(園児一同)

一、式辞(前園長)

一、前園長への感謝の記念品贈呈(母の会)

一、新園長就任ご挨拶(新園長)

一、祝辞

京都府文教課長

京都府私立幼稚園協会長

北白川小学校長

卒園児保護者代表

卒園児代表(一回生)

母の会会長

一、一〇周年記念品贈呈(母の会・卒業園児保護者有志)

一、勤続者表彰(前園長)

一、式典歌「一〇年おめでとう」斉唱(園児一同)

一、閉会のことば(母の会)

一〇周年祝賀演技次第

◇舞踊 松の緑 須藤晴美(二回生)

◇お歌とリズムバンド 曲目:かかし、お百姓さんありがとう、お時計さん、お馬のおやこ、楽隊マーチ ◇紙細工パレード 竹川青良

◇おゆうぎ つき組女児 曲目:ろばのコックさん、絵日傘、鈴虫の鈴屋さん、花かげ、

このプログラムの内容に、思い出すまま少し補足を加えると、式典歌「一〇年おめでとう」は、私が作詩し、当時教諭だった中川礼子先生が作曲してくれたものである。

あいうえお山の 幼稚園

かきくけ今年で 一〇周年

さしすせ揃って 祝いましょう

たちつて父さん 母さんも

一〇年一〇年 おめでとう

なにぬね野原の ウサギさん

はひふへほろほろ 鳩ぽっぽ

まみむめもしもし 亀さんも

やいゆえよい子へ おめでとう

一〇年一〇年 おめでとう

らりるれろんろん らりるれろ

わいうえお山の 子どもたち

すくすく伸びろよ 杉の子に

負けずに明るく 元気良く

一〇年一〇年 おめでとう

それと、お山の幼稚園の園歌は、現在三番までとなっているが、当時は四番まであったことをご存じの方は少ないだろう。正式の三番の歌詞が、当日のプログラムに出ている。お山のお山の 幼稚園

メエメエ山羊さん お仲間で

きのうの続きの お話を

いっしょに楽しく 聞きましょう

これが三番で、現在、「ほれほれお家が見えるでしょう」で歌われている三番は、当時は四番であった。どうして山羊さんが園歌に入っているのかというと、この園歌を開園直前の二五年三月に私が作った時には、有志の方からの寄贈による子山羊が一匹、第一年目の園児より一足お先に入園していたので、子山羊さんにも園歌に参加して貰ったのである。その後創立一〇年を越えた頃から、詳しい事情は忘れたが山羊さんがいなくなったので、自然、その頃から本来の三番が消滅したのだと思う。

さて、式典プログラムをご覧いただいて既にお気付きと思うが、随所に「母の会」の名称が見られる。しかも、ほとんど記念式典の方は母の会によってお膳立てされていることにもお気付きであろう。

初代園長だった父は、今の私と同じく大仰なことをするより、子どもとの一日一日の地道な触れ合いを大切にしたい気持ちを持っていた。そのことが第一の大きな理由と、もう一つは、本来派手派手しいことは苦手なこともあって、初めはかなり開催に抵抗していたようだった。しかし、

「一〇周年は大きな節目ですから」

という会長さん以下役員の皆さんのお声と、

「園長交代をなさるのですから、私達としましては、これまでの園長先生に感謝の気持ちを捧げたいし、また、一郎先生の新園長のお披露目もして頂きたいと思いますので、是非やらせて頂けませんでしょうか」

との、たってのご要望もだしがたく、さすがの父も一歩ゆずった形で、実施の運びとなった。

このようにして母の会の皆さんの大きな後押しをいただきながら、一〇周年記念式典は、会場が地元の小学校ということもあって、内々のアットホームな、しかも盛り上がった催しとなって、その成功を母の会の役員の皆さんともども喜び合ったのである。

涙の解散

ではなぜ、園にとってもよき後援母体である母の会組織が、一〇周年の時にはあって五〇周年の今ないのか、このことについて触れておきたい。

父は、幼稚園を始めるに当たって、「保父誕生」においても述べているように、短時日ではあったが、母に二つの幼稚園からいろんな事を学んで来てもらい、大筋は学習通りのことをできるだけ実情に合わせながら実行に移してきた。しかし、年数を加えるに連れて、父独自の考え方が従来のあり方の中に、さまざまの疑問点を見いだしていた。

たしかに、他園の場合と同様北白川幼稚園においても、母の会の皆さんの働きは大きかった。

年に一度のバザーはもちろんのこと、運動会当日には、母の会がうどんの店やサンドイッチの店、お寿司の店など開いて下さって、その売り上げを園の備品購入に役立てて下さった。

第二園舎を建設中には、率先して寄附金を集めていただいたり、皆さんが交代で、職人さん達のお茶やおやつのお世話をしに、毎日山の上まで登ってきて下さった。

園児の募集期には、手分けして適齢期の子どものいるご家庭へ呼びかけていただいた。などなど、さまざまな面で、数え切れないほどの恩恵に浴してきた。

しかし、次第に幼稚園としての独自の教育体系が整いつつある中で、母の会の役員制度を一〇年余経験してきた父は、享受した便益とは別に、教育上見逃せないいくつかの問題点にぶつかったのである。その問題点というのを拾って見ると、(一)毎年会長さんが代わるわけだが、初めの頃と違って年が経つにつれ、前年度より良い結果を出したいという、前年度との競争意識が生じやすくなる。人情としては理解できるが、それがだんだんエスカレートしてきて、役員さんの中には強制的に動いたため、保護者間に軋轢を生じた例も見受けられるようになった。

(二)先生の側に立つと、あってはならないことだが、新任の若い先生だったりすると、今ここでこの子にしっかりと言い聞かせてやりたい、叱ってやりたいと思っても、「そうだ。この子は会長さんのお子さんだった」とつい、手控えしてしまうことがある。ということは、結局はその子のためにならない。その子は、教育効果を受ける機会を失うことになるのだ。

(三)月に一回、放課後役員会がある。そのことを得々と他の子ども達に告げているのは、役員さんの子どもである。「お昼からついていったら、好えもんくれはるのやで」役員さんは一五に分かれたグループの、選挙で選ばれた代表である。一五人の子どもは得意顔。あとの大多数の子どもは、それを羨ましそうに指を加えて聞いている。ここには平等はない。

(四)一五人のグループ代表が、グループの意見を吸い上げて幼稚園に言ってこられる。だから、役員さんの立場を尊重すると、一人一人の保護者と一対一の直接の接触が難しくなる。役員さんは、園と保護者との間の垣根ともなりかねない。

(五)ある幼稚園での話であるが、運動会で園児の入場行進の際、先頭を園旗を持つ子ども、優勝カップを持つ子どもがその後に続く。二人の顔がよく似ているので園長先生にお尋ねすると、「ああ、あの二人は、会長さんのお子さんです」とのこと。晴れの場所で晴れ立ててやりたいのが親心だろうし、そのために園に奉仕するし、園もその労に報いるのは当然といえば当然のことかも知れないが。

いろんな観点から、母の会の役員制度に対して、何とか改革しなければならない。これは父の以前からの懸案であった。

父が園主となり、私が園長となって三年目の、たしか二月頃だったと思う。新年度を前にして、今年度の反省や次年度への申し送りを検討するための役員会が持たれることになった。

「お前がやりやすいように俺が嫌われ役になって、俺の園長のときの仕残しの仕事の、最後の締めくくりを今日はやろうと思う」そういって、その日、父は私とともに役員会に望んだ。

ことの経緯を詳しく述べず、結論をポンと切り出す癖のある父は、その日もさっそく爆弾発言をした。

「実は、考えがあって、母の会の役員制度を今年度かぎりで閉じようと思うのです。こんな話は、新しい園長から話すべきことかと思いますが、私が前々から気になっていたことなので、私の口から申し上げた方が良いかと思いまして」

余りにも突然の申し出に、役員さん達はしばらくは何のことやらげ解しかねて顔を見合わせているばかりである。そうした役員さん達の表情を見た父は、さすがに恐縮したように頭を掻いて、

「これはどうも、ちょっと突拍子もない発言で、さぞ驚かれたことでしょうが、皆さんにたいしては何ら他意はないのです。ただ以前から、ずっと考え続けてきたことでして、役員制度のない母の会、すなわち保護者全員が役員さん、全員が会長さんのお気持ちになって園の事を考えて頂くんだという、いわゆる真に民主的な会の運営が、子どもの教育にとってとても大事だということを、単に考えるだけじゃなく実践に移したいというのが、私の念願なのです」

一気にそういってから、役員制度によって起こるさまざまな問題点を、ふだんは口が重いのに、話し出したら止まるところを知らないところのある父は、滔々(とうとう)と思うところを述べた。

押し黙って聞いていた役員の皆さんの表情は、一様に重苦しかった。

やがて、役員さんの一人が、涙でくぐもった声で、口火を切った。

「おっしゃることは、分かるような気がします。でも、なぜ、今年度を限りとなさるのでしょうか?」

「そうです。今年度の私たちのやり方に、何か落ち度でもあったのでしょうか?」

「私たちも一生懸命してきたつもりなんですが」

つぎつぎに発言する役員さんの声は、みな涙声である。

父は更に慌てて、手で制しながら、

「いや、私は、今年がいいとか、わるいとかを言ってるのではありません。皆さんが良くして下さっていることは、私も重々承知している。私の言いたいのは、役員制度そのものの根幹を見直す、というところにあるんで、言い換えれば、平等の精神、親も子もえこひいきのない環境に置いてあげたいということなんです。

だから、私は飽くまでも、制度そのもののあり方を言っているんで、今までのあなた方のお働きを決して否定しているのではないことを、よく理解して欲しいんです」

それでも尚、役員の皆さんの気持ちには応えていなかったようで、自分たちのこの年度を最後として母の会制度がなくなる、というその一点に、残念さと割り切れなさと拘(こだわ)りが集中していた。

私は終始無言でいたが、初めて口を開いた。

「父は、以前からこの問題を常に家の中で口にしていました。自分の考えは間違っていないつもりだが、これを言いだす時期が問題だ。役員の皆さんにショックをお与えすることは火を見るよりも明らかだし、といって、いつまでもこのままでは改革は出来ない。

そう言ってここ最近は毎年潮時を見ていたのです。それを今年度は幸い、問題らしい問題も起こらなかったし、たいへん気持のよい一年でした。

ですから、今年度こそお願いし理解していただくには最適の年ではないか、ということになったんです。これが、もし問題のある年でしたら、保護者の皆さんは、問題があったから解散することになったんだと、噂をされるでしょう。

問題がない年だから、保護者の皆さんにも園から説明をすれば、充分納得していただけるのではないだろうか、ということなんです。今年度が悪かったどころか、良いから良いときに念願を果たさせていただこうというのです。その点を、どうかご理解いただきますようにお願い致します」

役員さん達の表情は、少しはほぐれたようにも見受けられたが、それでもなお余りにも突然のことであったので、役員の皆さんも急には感情的に納めきれぬものがあったようだった。

しかし、日がたち、時間が経過するに連れて次第に興奮も薄れ、卒園式数日前に園内で行った、ささやかな役員の皆さんとのお別れパーティでは、皆さん談笑のうちに、一〇年以上に及ぶ母の会役員制度の幕をわだかまりなく下ろして頂くことができたのである。

このようなことで、一〇周年のときには母の会組織があって、母の会のお考えを尊重した形で記念式典が行われたのだが、五〇周年の今回は本来の園の考え方を貫かせて頂いたため、諸行事は一切行われなかったのである。

一〇年目のバトンタッチ

ついでながら、一〇周年記念式典の日のプログラムに、父の一〇年を顧みての文章と、私の二代目就任に当たっての決意を吐露した文章が出ているので転載することにする。

十年を回顧して

                北白川幼稚園園主 山下英吉

「赤ちゃん幼稚園」と多年自称してきた本園も、早いもので今年で満十年を数えることとなった。思えば感慨深いものがある。

この間、いろいろな人のお世話になった。

「たとい憎まれる人となるとも、憐れまれる人となるなかれ」を中学校以来モットーとしてきた私も、幼稚園を創(はじ)めるにいたって、初めて世間の人の温かい人情に触れるようになった。

まだ幼稚園もできていないのに、それに関係のない人達の間に「北白川幼稚園設立後援会」の生まれたことは、私の終生忘れえぬ感銘である。私はそれに力を得て「河童の陸踊り」を始めたのである。

「君が大学生を集めて話をするというのなら分かるが、幼稚園の子どもではなあ!」と言った人もあった。

「北白川幼稚園の園長は、幼児に哲学を説くそうな」

と噂する人もいると聞いた。

「みなさん、一番にはただ一人しかなれませんが、一生懸命になる一番には、みんながなれるのです」

今秋の運動会に園児達に話したところだが、十年の回顧といっても、私にとっては「一生懸命」になる一番を目指してきただけの、恥ずかしい、相済まない思い出ばかりが、いま目の前に山積している。万境に育まれてかぼそく立っている山の上の小さな幼稚園!

なにものかに感謝したい思いで一杯なのである。

私はこの機会に、園長の職を十年にわたってこの幼稚園に献身してくれた一郎に譲って、私は新たに園主の地位に即(つ)く。

私が園長として一番恥ずかしく相済まなく思ったことは、溌剌(はつらつ)たる生命の培養所であるべき幼稚園に、隠遁的(いんとんてき)な老人がその地位を汚していたことである。

しかし、幼稚園哲学の心解は難しい。一郎にそれの出来る日を待たねばならぬ。新園長は、この理解の上に立って園児の社会性の培養にも努めてくれるであろう。

また、幼稚園精神の基礎づけに専らであった私は、設備その他に意を用いる余裕がなかった。この点も新園長は補ってくれるであろう。

若き園長の代になって、北白川幼稚園も初めて本格的な動きを見せるであろう。私はただその精神を見守っていく。目的拘束に違戻(いれい)する幼稚園は商家に過ぎない。私は死に至るまで、園主としての責任を取るつもりだ。

根をしめて風に任(まか)する糸柳

初代精神の根の上に張った若駒のような幼稚園が、風の吹くに任せて自由に雄飛する姿を心に描いて、河童は安んじて水に帰らせていただく。

どうか倍旧のご慈愛とお引き立てのほどを伏してお願いする次第である。

二代目襲名口上                       

山下一郎

どこで聞いてきたものか、早くも父と私の園長交代を知っていて、ひとりの子どもから、

「一郎先生が園長先生やてえ、何やちょっと、けったいやわ」

と言われました。

子どもにそう言われるまでもなく、私自身が何や知らん、けったいな気持なのです。自分の口から言うのも可笑しいのですが、父が園長として余りにも立派すぎたからです。

一朝にしては及びがたいとしても、今後果して父についていけるか!それを思うと深憂が渦を巻きます。

しかし翻(ひるがえ)って、園長としての資格の条件の一つに、「子どもが好きで好きでた溜まらぬこと」というのがあるとすれば、いささか自信めいたものに、心が和むのです。

こと志と違って飛び込んだ世界ではありましたが、山の上にも十年、私自身の中に培われ、育まれてきた子どもたちへの愛情は、私をして最早この世界から一視だに外へ向けさせてはくれません。知らずして、嵌(は)まるべきツボへ嵌められていた。今となっては、いたずらな運命の女神に感謝せずにはいられません。

そして再び運命の女神に、二代目襲名を余儀なくされました。いろんな意味での二代目の難しさ、そういったものをしみじみと考えさせられている、今日この頃です。

だが幸い、私には十年に亘(わた)って父の残してくれたお手本が身近にあります。私の体内には、常に十年の初代の心が流れてくれている筈です。初代の作ってくれた教育精神は、これから後もそのまま私の理想として、私の心の中に生きつづけ見守り続けてくれることでしょう。

そう考えますとき、私の心は大いなる安らぎと希望とに満たされるのです。

ともあれ、私は今二代目としての初舞台の花道にさしかかろうとしております。この役者が大根であるか、千両役者となるかは、私自身の今後の努力は申すまでもありませんが、尚その上に、大向こうの皆様方の温かいご指導、ご声援のいかんも、預かって大いに力があるのではないでしょうか。

どうか皆様方には今後とも、若さと子供好きだけが取り得の私が、二代目園長としての舞台を立派に努められますよう、宜しくお力添えのほど、一重(ひとえ)に、隅から隅までずいっーっと願い上げ奉りまして、襲名の口上とさせて頂きます。

バレーボールチーム結成

私どもの幼稚園は私立なので、京都府私立幼稚園連盟に所属している。そこには京都府私立幼稚園PTA連合会という組織があって、その下部組織として左京支部がある。その支部の集まりには、左京地区各幼稚園のPTAの会長さんが集まって会合を持つわけだ。

ところが、先にも述べたように、うちの園の場合は、全保護者が全員会長さんなのだから、特定の一人を左京支部へ送り込むことは出来ない。

そこで、保護者会で説明しご了解をいただいた上で、私が会長代理という形で左京支部の会合にはいつも参加していた。PTAだから別にT側が代表に出ても依存はないわけで、かなり長い間このような方法が取られていた。

たしか、昭和六一年(一九八六) の秋頃だったかと思うが、ある日二人の保護者が園長室を訪ねて見えた。

「バレーボールの好きなお母さん達で、北白川幼稚園のバレーボールチームを作ってはいけませんでしょうか?」

こういうお申し出である。私は即座にいった。

「そりゃ良いでしょう。皆さんの親睦のためになるのなら大いに結構です。ただ、チームが出来たために、反って園内のチームワークに乱れが生じるようなことがあってはいけませんので、少しでもそういった気配が感じられましたら解散していただかなければなりませんが、その点だけはくれぐれも気をつけていただきますように。どうか、勝敗にこだわらず、どこまでも和のチームをめざして頑張って下さい」

そのように念を押した上で、チーム結成に賛成した。

翌年の九月四日、クマノの武道センターでわが北白川幼稚園チームが左京地区大会に初出場して以来、現在まで毎年のように出場を果たしている。

最初は一チーム結成が関の山であったものが、園児数の多いときは三チームにも膨れ上がり、現在では二チームに落ちついている。それでも、園児数の減少に伴い他園もチーム数を減らしてきているので、二チームあるというのは左京区内でも数少ない方だ。

左京地区の幼稚園で、専門のコーチのついているチームが二、三ある。私も時間の許すかぎり応援に駆けつけているが、見ていても、コーチのいるチームのメンバーは顔つきが違う。コーチの厳しい目を、常に背中に背負っているからだろうか。

そこへ行くと、わが北白川幼稚園チームは誠にのんどりとしている。好プレーにも笑顔。ミスプレーにも、

「ドンマイ、ドンマイ」

とまた笑顔。こののどかさに、往々にして相手チームは油断するのだろうか、左京地区大会で優勝し、京都府大会に駒を進めて優勝したことがある。北白川幼稚園バレーボールチームに入って、初めてバレーボールを始めたというお母さんも混じった、しかもコーチなしのチームが、あれよあれよという間に、無手勝流でトップの座に登りつめたのである。

そんなわけで、毎年どのチームのお母さん達も、和気あいあい、声を掛け合い、助け合い、心を寄せ合ってプレーする、まことにアットホームな姿には、他園のチームの関係者からも、

「たいへん感じのいい、チームワーク抜群のチームですね」

と、今なお称賛の的となっている。

わが園に、バレーボールチームが出来て五年ほど経ったときであろうか、私は四月末の保護者会で一つの提案をした。

「京私幼PTA連合会左京支部の会合に、いつも私が出ているが、会長代わりに園長の出ている園は実はうちだけである。それと華やかな若いお母さん方の中に混じって、私は常に黒一点。少々気が引けるので、どなたかに代わっていただけないかと常々思っていた。そこで、バレーボールチームがあるのを幸い、その年のキャプテンの人にPTA会長代行として出ていただくわけにはいかないだろうか。」

保護者の皆さんに何の異存もなく、気持ち良く私の提案を受け入れてくださった。

以後毎年、見習いを兼ねてであろうか早い目の九月に、和やかな話し合いの内に次年度のキャプテンが決まり、現年度のキャプテンと協力してチームの運営に当たることになっている。

ハートフルなバザー

今年(九九年)も九月の半ば頃、新旧の役員さんたちが交代の挨拶のために、揃って園長室へお見えになった。

引き継ぎの紹介が終わって一息ついたところで、現年度のキャプテンの方から、思いがけないお申し出があった。

「五〇周年の行事を何もなさらないことは承知していますし、そのお考えはよく理解できるのですが、保護者としましては何かやはり記念になることをして、長年のご苦労に報いたい気持を、多くの人が持っています。そこで、バレー部から呼びかけましてご賛同いただける保護者の方達と、記念のバザーをしたいと思うのですが、いかがでしょうか」

にこやかな笑顔の中にも、真剣な表情がうかがえた。同席の皆さんも同じである。

わたしはいつもの癖の、思わず頭に手をやると、

「やあ、まいったな。わたしが勝手なことを申しましたために、皆さんにいらざるご心配をお掛けしたようですが、皆さんからの自発的なお申し出には、本当に感謝のほかありません」

「では、やってもよろしいんですね」

「はあ、まあ、そうですねぇ」

こういう、青天の霹靂(へきれき)とでもいうべき有りがたいお申し出には、しどろもどろの対応しか出来ない私である。

一〇月四日、バレー部より記念バザーへの協力依頼の第一報が出た。

「この度、北白川幼稚園が創立五〇周年を迎えられるに当たり、日頃お世話になっている園に、お祝いの気持ちをお持ちの方も多いのではないでしょうか。

他の園では、PTAが中心となりお祝いの式典などをされているようです。

しかし、本園にはPTAがないためバレー部がお世話をさせて頂ければと思い、『バザー』を開いて、その収益をお祝いとして寄贈したいと考えました。

先日、園長先生へのお伺いも済ませ、一一月一一、一二両日のフリー参観日当日、旧たんぽぽ組さんのお部屋をお借りすることでご了解をいただいております。

何分にも、はじめての経験で不慣れな所も多々あると思いますが、この主旨にご賛同いただけます方は、ご協力をお願い致します。  北白川幼稚園バレー部 バザーお世話係」

そして翌日には早速、その具体的な物品の内容、物品の集め方などについて、イラストをまじえた詳しい呼びかけが行われた。

回収は一〇月一五日と二六日の両日に行われることとなり、物品を持参しやすいように回収場所は、送り迎えのグループ毎にそれぞれ便利な場所が選ばれた。物品は想像以上に多く集まった。

集まった物を今度は、お世話係の方達が山の上まで運搬して来られる、という段取りだ。両手に余る荷物を息弾ませて運び上げる方、赤ちゃんを片手に抱いて、片手に大きな荷物、というスタイルの方、お父さんの顔も混じったりして、しばらくは毎日のように荷物を持って行き交う人々の往来で、坂道は賑わった。

わたしはそうした保護者の方達の献身的な姿を垣間見ながら、手を合わせたい気持ちで一杯だった。

二日にわたってのバザーなので、前日からの手配、当日の販売や売り上げ勘定、翌日の飾りつけや値つけなど、その前後は準備や後始末などで大忙しだ。

この頃になると赤ちゃんを持つお母さんなどは、おじいちゃんやおばあちゃんにお守りをお願いされて、単身仕事に集中することになる。放課後の園児を纏めて面倒を見て下さる保護者の協力もある。

フリー参観日の妨げにならぬよう配慮しながらも、バサー当日は大賑わいであった。チラシのうたい文句通り、

「『ステキー!ヤッター! ヤスイ!』と思える商品」

がずらりと並び、在園児、卒園児、新入園児の保護者、一般の人、中には外人さんまで混じっての、国際色豊かなバザーとなった。

二、三日経って、といっても正確には一一月一五日(月)のお昼前、「幼稚園を愛する者一同」と書かれた金封の中身、四七六、五〇七円という多額の純益金を、たんぽぽ組の玄関先で、降り始めてきた小雨にそぼ濡れながら、実行委員の方々の拍手の中でバレーボールキャプテンの方から拝受したのだった。

バザー当日買いにきていた留学生夫妻が、

「いろいろな国で、いろいろなバザーを経験しましたが、これほど「ハートフルなバザー」は初めてです」

と述懐していた。異国の人のハートを捉えたこの一言こそ、バザーの運営に当たって下さった方々の「チームワークの良さ」、ご協力いただいた全保護者の皆さんの温かさへの、最大の賛辞であり、バザー成功の要因のすべてを物語る一言であったと言えよう。

一五〇本の花束

おとといは、「お楽しみクラス会」で、サンタさんがプレゼントを持ってみんなのお部屋をつぎつぎに訪問してくれたし、きのうは、「一二月のお誕生会」で大好きな映画を二つも見せて貰ったし、きょうの「合同おたのしみ会」では、子ども達全員が一堂に集まって、先生達のいろいろと趣向を凝らした楽しい催しを見せてもらえるとあって、この三日間、子ども達にとっては二学期末のわくわくする嬉しい三日間なのである。

その「合同お楽しみ会」の前日、主任の優季先生から妻に、

「牧子先生も、ご都合がおよろしかったら、明日の会にぜひ出ていただけけませんでしょうか」

と、例年になくお誘いがあった。

さてその翌日。まず幕開きは、クリスマスも近いところから、私の映すサンタクロースの映画である。「サンタのおもちゃ工房」と「サンタのプレゼント」の二本は、大変温かみのあるほのぼのとした映画のせいか、毎年繰り返し映しているにも関わらず、子どもたちには大好評だ。

子どもたちは、家庭でビデオを見るのと違って、部屋を暗くして、大きな画面に一点集中してお友達とともに見る映画が大好きだ。去年見た同じものであっても、「あれ見た」とか、「あれ知ってる」と言わないのは、一年経っているだけに内容に対する見方も成長しているからであろう。

映画が済んで、いよいよ先生たちの出番だ。毎年先生たちが子どもたちを喜ばせようと工夫を凝らした、いわばこのお楽しみ会は、先生たちの発表会であるともいえよう。

例年、手品があったり、人形劇があったり、簡単なミュージカルが行われたりして、毎日遅くまで残って練習する先生達は大変だが、子ども達はこの日ばかりは、ゆったりとしたお客さま気分である。

ふだん見られない先生の意外な面も窺えたりして、わたしもこの日は例年楽しみにしている一日なのだ。

会の翌日、先生からその日の簡単なシナリオを入手したので、それに従って順を追っていくことにする。司会「これから、『お山の幼稚園の誕生日』という劇をします」

(白雪姫の「ハイホー」のBGMが流れる中、上手より小人が七人登場)

小人一 「お山の幼稚園のみんな、こんにちはー!」

(園児達「こんにちは」)

小人二「ところで、今日は、何のパーティーだった?」

小人三「お山の幼稚園の、五〇歳のお誕生パーティだよ」

このあたりまでは、

「ふんふん、きのうは園児達の一二月のお誕生会をしたので、それに続いて今日は幼稚園の五〇年を祝おうというわけだ。さて、どのように展開していくのかな」

と、ひとごと他人事のように気楽に眺めていたところ、小人四「でもね、王子様とお姫さまがいないの。探さなくっちゃ」ときた。どこへだれを探しにいくのだろう、と舞台を見つめているところへ、四人の小人さんが舞台を離れて、私と牧子先生のところへやってくるではないか。小人全「あーっ、王子様ー!お姫様ー!」四人の小人さんは二手に分かれて、わたしと牧子先生の両手を持つと、

「ええっ?」

「どうして?」

とうろたえる二人を、問答無用とばかり舞台の方へ誘導していくのだ。

そこには、ちゃんと椅子が用意されていて、両側から小人さん達が私たち二人に、王子様とお姫様のマントを着せ、冠を被せるという段取りとなる。もはや二人は小人さん達のなすがままである。

その間、子どもたちの間から、

「お年寄りやのに、園長先生の王子様ておかしいわ」

の声がきっと上がるに違いないと思っていたのだが、意外にも、誰一人異を唱えるものはいない。じっと真顔で成り行きを見つめている。小人六「さあ、これでやっと、パーティが始められるね」

小人全「よかった、よかった」

小人五「じゃあ、早速、始めよう」

(お誕生会のときにうたう「お誕生のうた」の替え歌で)

「今日はお山の 誕生日  幼稚園ができて五〇年

先生方もお友達も 皆で祝おう うれしうれし」 と、「五〇年の即席祝典歌」を、小人さん達も園児たちも全員いっしょになってオゴソカに合唱する。

ここまでが、プロローグで、これからが楽しいクイズパーティの始まりとなる。小人一「みんなは、お山の幼稚園が大好きだね。じゃあみんなは、大好きなお山の幼稚園のことをどれだけ知っているかな、そこで」

小人全「(声を張り上げて)お山のクイズー!」

小人二「みんなは、○か×で答えてね」

小人三「第一問! 幼稚園にいる犬の名前は、しろくまちゃん、である。しろくまちゃんと思う人は○、違うと思う人は×だよ」

(子どもたちの反応を見てから)

小人四「じゃあ、王子様に聞いてみよう」

(王子様に×のカードを出してもらう) このあたりになると、最初面食らっていた白髪の王子様も、少し余裕がでてきて、かなりオーバー気味に×のカードを高々と上げる。小人四「じゃあ、なんていう名前だったかな。いってごらん」

(園児達「くまちゃーん」)

小人五「そう、くまちゃんは人気者だね。では、第二問! 幼稚園にあるお部屋のお名前は、ことり、ちゅーりっぷ、ほし、つきA、つきB、そしてあとひとつは、ゆきだるまぐみである。さあ、○か×か?」

(子どもたちの反応を見てから)

小人六「じゃあ、今度はお姫様に聞いて見よう)

(お姫様に×のカードを出して貰う)

小人六「じゃあ、本当は、なんていう名前のお部屋だったかな?」

(園児達「ゆきぐみさーん」)

小人七「その通り。では最後の問題! お庭から見える向かいのお山は大文字山である。○か×か?」

(子どもの反応を見てから)

小人一「じゃあ最後は、王子様に聞いてみよう」

(王子様に○のカードを出して貰う)

小人二「みんななんでも良く知ってるね。これで、みんながお山の幼稚園のことが大好きだということが、良ーく分かったよ」

小人三「じゃあ、ぼくたち小人たちも大好きな、お山の幼稚園のために、とっておきのプレゼントをしようと思うんだ。みんなも聞いてね」

(「小さな世界」の歌と、ハンドベルの演奏)

「小さな世界」は、子どもたちも知っている歌だけに、みんなは声を揃えて小人さんたちの歌声に楽しそうに和していたが、ハンドベルの演奏になると、小人さん達の見事なハーモニーと、音質の美しさに年少児までがシーンと鳴りをひそめて聞き入っていた。

小人四「じゃあ今度は、みんなからお山の幼稚園へ、みんなの大好きな「スマイル」のお歌をプレゼントしようね。心をこめて歌うんだよ」

この「スマイル」の歌についてだが、不思議なことに、園長室のすぐ隣りの年少児の部屋から一度も練習の歌声は聞こえてこなかった。それなのに、大きい組に混じって年少児どの子もしっかりと口を開いている。いつ練習したのだろう?

さらに不思議なことは、「スマイル」の歌の最後になると、全員が大きな声でこちらに向かって、『五〇周年おめでとう』と呼びかけてくれたのだ。この練習もいつしたのだろう。

小人六「五〇年間、このお山を頑張って守ってくれた王子様とお姫様に、『ありがとう』の気持ちを込めて、花束をプレゼントしましょう」

ふと両サイドを見ると、小人六の呼びかけに応じて、年少、年中、年長六クラスのその日のお当番一二人が花束を抱えて待機している。先生の合図で、ことり組から順番に私たち二人につぎつぎに花束が渡されていった。

園児たちの盛んな拍手をいただきながら、その花束を手にしたとき、わたしも牧子先生も思わず胸にこみ上げてくるものがあった。

園児のひとりひとりが色画用紙で拵えた手作りの一五〇本の花束である。いつの間にそれを用意していたのか。どの先生の数日前からの保育日誌を見ても、花束作りのことについては、一行も触れてない。これも不思議のひとつである。

だいたい今日の「お山の幼稚園の誕生日」の劇のことについては、私たちはなにも知らされていなかった。しかも劇中に私達まで引っ張りだされようとは。ましてこんな素敵な花束の贈呈にまで預かろうとは。

小人七「じゃあ、ぼくたちは帰るよ。これからも、みんなで力を合わせてお山をまもってね。バイバーイ」

(小人一同、上手へ入って行く)

このお楽しみ会は趣向こそシンプルだが、園児たちも先生たちも私たちも、幼稚園全体がともに幼稚園の五〇周年の誕生を祝うにふさわしい、どこのどんなスケールの大きい記念パーティーにも勝る、これこそ、北白川幼稚園の五〇周年記念パーティーなのだ。

大きなホテルで盛大に催される記念パーティーには、どれだけ多くのお義理の参加者がいることだろう。お義理の人にも招待しなければならないし、呼ばれたら、相手のことを良く知らない人でも顔を出さなければならない。

お楽しみ会のパーティは違う。先生たちの思いが籠もっている。園児達の生の喜びが渦巻いている。お義理の人はひとりもいない。

先生たちが陰でこんな計画を練っていたとは、夢にも思っていなかっただけに感動も一入の五〇周年記念パーティであった。

知らぬは園長ばかりなり

その日の保育日誌に目を通しているいる内、新たな驚きを発見した。

「今日のために『スマイル』の歌を練習したり、お花を作ったり、秘密でことを運んできましたが、成功して良かったです」

これは年少児クラスの保育日誌の一節である。これで、年少児が大きい組の子どもたちと口を合わせて歌っていた理由が分かったのだが、また新たな疑問は、秘密で練習といっても特にちゅーりっぷ組は園長室のすぐ隣りの部屋である。

私に聞こえぬ筈はない。いったいどんな方法で練習したのだろう?

そこで、せっかくの秘密の夢をこわすようで気が引けたが、この疑問を解くために、ちゅーりっぷ組の浩子先生に聞いてみると、

「園長室に先生のおられない頃を見計らって、練習したんですよ」

と、してやったりの笑顔である。

「園長先生、牧子先生に秘密でするということに子どもたちもやる気を見せ、わくわくしながら取り組んできました」

年中、年長児のどのクラスの保育日誌にも、これと似たような文面が踊っている。

どうやら、園児達も、先生達も、私達を除くすべての人々が、秘密裡に事を運んできたらしい。つまり、園全体が秘密のベールに包まれていたのである。そのことに、私たちは不覚にも全く気付かないでいた。

その様子に、園児達も先生達も「大成功!」とはしゃいでいる。

ということは、当日まで子ども達は「一人残らず秘密を守り通した」ということになる。これは信じられないことだ。全員が沈黙を守るということは、大人の世界でも難しいものだ。一五〇人いれば、一人や二人くらい、

「ええこと、教えたげよか」

と意味ありげに笑みを浮かべるものだ。

「何?いいことって」

と聞けば、あわてて、

「ひみつ、ひみつ」

と口を閉ざす、というわけだ。

マントを着せられ、冠をかぶせられる直前まで、全然気がつかなかったのだから、うかつ迂闊と言えば迂闊な話だが、これは園児達と先生達との絶妙のコミュニケーション、絶大な信頼関係を称賛すべきであろう。

わたしは図らざる五〇周年記念パーティの開催にも感激したが、園児達の深い沈黙にも驚くと同時に、深い敬意を表したのである。

世界一の果報者

一〇周年と五〇周年、そこに大きな違いが見られる。一〇周年を支えた母の会の組織は、五〇周年の今はない。一〇周年の時にあった記念式典も、五〇周年には行われなかった。

しかし、自発的に盛り上がったお母さん方の五〇周年記念バザーがある。隠密裡(おんみつり)に計画の進められた、園児と先生たちによる五〇周年記念パーティーがある。

このような素晴らしい記念の催しは、世界中どこを探しても恐らく無いのではなかろうか。一人としてお義理のない、みんなが挙って参加し、みんなが心から喜び合う姿、ここに、幼稚園のあるべき本当の姿があるのではなかろうか。

私たち夫婦は、そうした園児や保護者の皆さん、先生方に囲まれている世界一の果報者である、とつくづく思う。と同時に、改めて私たちを幼稚園の仕事に進ませてくれた運命の女神に、感謝を捧げたい気持ちで一杯なのである。

>>第8章

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