こどもの模倣と創造――魂のゆさぶりとほとばしり――

まねるとは漢字で真似るとかきます。真似る対象は真である必要があります。真とはなにか?古来様々な解釈がなされます。少なくともそれが表現の原動力になる点に注意したいと思います。そして子どもたちは「真」なるものに敏感です。さて、子どもの表現という観点で少し考えるところを述べます。

大人は子どもたちに「自分の言葉で表現してほしい」とか「自分の思ったように表現してほしい(絵を描いて欲しい etc)」と期待しがちです。しかし、子どもたちはその逆で、真似が大好きです。どうしてでしょうか?また、幼稚園のクラスでの取り組みは大人の目から見ると「真似」が中心のように見えます。これもいぶかしく思う人がいるかもしれません。私はものごとには順番があるからだと思います。

話は飛躍しますが、「偉大な表現者は偉大な模倣者である」というのは私がかじった文学の常識です。かのシェイクスピアも偉大なる模倣者であったわけです(ギリシア・ローマ文学を模倣したわけですから)。日本語で「模倣」というといささかネガティブな印象を与えます。しかし、「模倣とは尊敬」の言い換えなのです。子どもたちは何かに憧れ、何かを尊敬したくてたまらないのです。それは人間として本来備わっている「立派に生きたい」という欲求に合致したしぜんなことだと思います。

つまり、まずはあこがれの気持ちから真似を徹底すること、その先に創造が生まれると言うこと、この順番が重要です。これは言葉による表現にせよ、絵画表現にせよ、原理は同じです。

さて、「表現」というのは実によくわからない日本語です。これは英語の expression (エクスプレッション)の訳語なので日本語として生硬なのはやむをえません。語源に即して言えば「力が加わった結果、何かが外に絞り出される」というニュアンスをもっています。では、その反意語は何でしょうか。正解は impression (インプレッション)です。日本語では「印象」と訳されます。英語の綴りをよく見て下さい。ex-pression と im-pression とをじっくり観察します。ex (外に)と in (内に)が、各々逆の方向を示しています。ちなみに、続くpression (プレッション)の部分は、プレス(押す)や、プレッシャー(抑圧)といった単語と関係しています。つまり「印象」(impression)とは「力が内側に加わり何かが刻まれること」です。

わかりやすい例をあげましょう。ミカンが目の前にあるとします。それを両手でぐいっと絞ります。手のひらはみかんを包むように外から中に力を加えるので、これが「インプレッション」のイメージです。一方、ある一定以上力を加え続けると、みかんの皮は破れ、果汁が外に向かってほとばしります。内向きのエネルギーが限界まで蓄えられると、必ず外に向かいます。エクスプレッションは「表現」というより「ほとばしり」と訳した方がわかりやすい言葉です。

勘のいい方はもうおわかりでしょう。今述べたことは、「真似から入り創造に至る」プロセスと同じだということです。対象が心を大きくゆさぶる(英語ではこれをムービング、日本語では感動的という)経験を重ねるとき、必ず「表現」(魂のほとばしりと言うべきもの)が生まれます。

子どもが飽きもせず、何度も真似を繰り返していたら放っておいたらよいのです。技術的な介入は本人の試行錯誤、感動の吟味に水を差すことがしばしばありえます。大人は一般にせっかちなので、この「ほとばしり」がなかなか待てないものなのです。じっくり待つ代わりに「うちの子には才能がない」とか「真似ばかりしている」など、「ほとばしり」がまだ生まれない段階からその「原因」を詮索し、対策を講じようとします。しかしその大人の姿勢や言動が、子どもの「印象」――魂のゆさぶり――にどのような影響を及ぼしているかには頓着しません。私は「楽しみに待つ」というおおらかなスタンスが、子どもの「印象と表現」の経験にとってよい環境だと信じます。

(2008年6月)

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