立ち位置を変えて見えるもの~園長日記より

本園は小学校以上の学びにも独自の提案や助言を行っています。

小学校の学びに関するQ&Aです。

Q. 小学一年生。家に帰ったらカバンを置いて公園で遊ぶ毎日。宿題は公園から帰ってから。楽しいのはわかるが、すでに学校の勉強でつまづきも見える。どうすれば?

A. 私が子ども時代、だれもがそんな感じで夢中で遊んでいましたが今は少数派のようです。

大人は勉強の仕方の「正解」や「王道」を知っています。そのとおりに進めば間違いない、という道はたしかにあるように見えます。子どもは試行錯誤を経てその道を自分のものにします。親の言うとおりに従うと、当面問題は起きず、間違いも少ないです。しかし子どもはいずれ「自立」しないといけません。「学びの自立」も「人生の自立」も。

その観点から見れば、質問者のお子さんは「宿題だけはちゃんとしている」とのことなので、私の目から見ると「やるべきことはやり」、「したいことも存分にする」、「自立的な」お子さんに見受けられます。この子が親の言うとおり、宿題を先にし、また遊びの時間を削って「習い事」に行く(行かされる)と、この子なりにやりくりをつけて人生を進もうとするせっかくの「自立心」に水を差します。このパターンが今の世の中は多いです。

私の答えは「今のまま様子を見まもること」ですが、それは「放置」ではなく「観察」であるべきです。というのは、上のような見方ができるのは、「宿題はきちんとやる」という前提あればこそです。ふつうは、外で遊び疲れて家に帰ったら、宿題はやりたくないものです。家に帰ってすぐにやったほうが楽といえば楽です(だから親はそれを勧めるわけですが)。このお子さんはその「逆境」をものともせず、一日も休まず宿題をこなしているわけです。

しかし、もし、気持ちのゆるみから、一日宿題をサボったとします。私はそのとき、親はどんな表現を使ってもいい、思い切り叱ればいいと思います。否、むしろ演技してでもいいので強く叱った方がいい。なぜなら、それは単に宿題をサボったということではなく、自分の中で決めた約束を破り、親の信頼を裏切ったことを意味するからです(この叱責を効果的にするため、日ごろの小言はできるだけ慎む方がベターです)。

お子さんはよほど公園での遊びが楽しいのでしょう。1時間、2時間があっという間に過ぎるのでしょう。親の目から見ると「単なる遊び」に見えるかもしれませんが、「生き方」の観点に照らしてみれば、子どもにせよ大人にせよ、そのように充実した時間を経験できるのは当たり前のことではありません。「いやいやさせられて」過ぎていく苦痛な時間は忍耐心すら養いません。

ではこの充実した体験は何にどうつながるのでしょうか。

幼稚園時代と何ら変わらず友達と公園で走り回る姿は、「今だけの姿ではない」でしょう。その姿はいずれ学びを楽しむ姿に変わる日が来ます(否、来てほしい)。たいていは大人がそれを急ぎすぎ、学びの環境を整える(=勉強しなさいと命令したり、塾に通わせたりする)ことに注力します。

実際、小学校以上の勉強で一番大事にしなければならないのは、本人の学びの姿勢そのものであり、「学びたい!」という気持ちがあるかぎり、何も心配はありません。親の目から見て「うちの子は勉強がきらい」というのはほとんどの場合「勉強させている」結果です。子どもは本来的に「学びたい!」という気持ちでいっぱいです。親の仕事はそれを損なわないように気を付けるだけです(多くは逆のことをしています)。

勉強でつまづきが・・・ということですが、よほどな場合を除けば、取り返しはいつでもいくらでもできます。それもこれも本人の自覚があればこそです。そして、これが重要な点ですが、今「自立的に」自分の人生を生きているお子さんは(=公園で無我夢中で遊んでいるお子さんは)、何かのきっかけで「これではいけない!」と自分に言い聞かせるときがくるかもしれませんし、より能動的に「もっとたくさんのことを学びたい!」(本は楽しい。もっとたくさんの本を読みたいなど)と思う日が訪れると私は信じます。そのとき、外で夢中で遊んだ経験が「がんばる自分」を応援します。それは周囲からの「命令」ではない点で、本人の集中力に大きな差が出ます。

お子さんの側から「ここがわからない。教えて」と言って来たら、極力おだやかに教えてあげることです。これ幸いと「日ごろ遊んでばっかりだから云々」と説教しては絶対ダメです。宿題やプリントをご覧になり、指摘してほしいのは「字を丁寧に書く」ことのみです。「答えが正解だからどんな字でもよい」というのは間違いです。子どもは字の書き方に関しては未熟です。どうかお手本の字をていねいに書き添えてあげてください。小学校の低学年で一番大事なのは学びの姿勢であり、姿勢は字に現れます。

世間で言う点数による成績は、上には上があります。つまり、最初からどれだけ遊びの時間を削って成績向上に最適化した選択を行っても、どこで満足すればよいのか、定かでありません。最適化を極限まで進めて目的の資格を手に入れても、そこがゴールと思ってしまい、バタンと倒れる例はいくらでもあります。「最適化」とは「切り捨て」の別名です。人として育つうえで、「最適化」は多くの大事なものを「切り捨て」て成立します。(学校ぐるみでの未履修問題も根っこは同じです)。

「最適化」は自分の責任で行うべきことで、周囲の大人が不安を先取りして「最適化」に走ると、本人の「自立心」と「自信」をしぼませるということを上で長々と書きました。時間を忘れて無我夢中で遊べるのは「今だけ」ではありません。文字を覚え数に親しみ本を読めば無限に世界は広がります。お子さんがいずれ「学びで遊ぶ」楽しさを体感されますことを心より願っております。

(2016-06-19 山下太郎)

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