子どもたちを育てる「場」──園長だより

“いしだんを 毎日のぼり 元気です”(園児の句)

5月に入り、園児たちは自信をもって山道を登ってくるようになりました。手をつないで緑のまぶしい山道を元気に登ってくる子どもたちの姿は、4月当初とはまったく別のものです。4月は、新しいクラス、お友達に慣れることが第一の目標でしたが、連休明けの今日からは、朝の体操や俳句が始まり、外遊びの時間も増えていきます。クラス全体のまとまりも密になり、子どもたちはその「場」に属する楽しさを発見し、それを表現する機会も増えていきます。

この「場」の楽しさこそ、子どもたちが責任ある社会の一員として成長するための栄養だと思われます。それは「楽しさ」であっても「楽(らく)」ということではありません。石段が大人の目にとって「苦しい」ものに見えても、子どもたちは手をつないで登ることで「楽しさ」を感じ取ります。幼稚園が楽しい場であるために、ときに大人の目にとって「苦しくつらい」要素が見えたとしても、子どもたちはクラスの一員としてそれを乗り越え、階段を一歩ずつ登っていくことができると思います。

古来「かわいい子には旅をさせよ」と申しますが、「かわいい子ゆえ旅をさせたくない」というのが親心でもあります。しかし、「旅」を「苦しさ」と置き換えますと、人間の成長にとって「苦しさを乗り越えての楽しさ」がいかに大切であるかに思いがいたります。しかし、その苦しみはけっして一人だけのものではなく、個々の人間の成長(=旅)をみなで見つめ合い、支え合い、励まし合う「場」として幼稚園がある、ということに気づきます。

先に「クラスのまとまり」という言い方をしましたが、それは個人の側から見れば、個性が薄れていく方向を意味するのではありません。自分の肯定できる社会に所属する安心感や個人間の信頼、連帯感に満ちたクラスができあがっていく、という意味です。同じように「家庭のまとまり、絆」という言い方もできるように思われます。家庭にせよクラスにせよ、自分を包みこむ社会の絆を肌で感じ取るとき、子どもたちは力一杯自分の力を発揮していくものです。

かりに子どもが「幼稚園に行きたくない、○○ちゃんがいるから。」と言ったとしても、その本当の意味は「自分は今、幼稚園で○○ちゃんとよりよい人間関係を築く苦労(努力)をしている」と理解すべきケースが多々あります。その苦労が将来の成長にとって問題か問題でないか?その見極めを行うのがプロとしての務めであり、必要とあらば、その判断について保護者にお伝えし、あるいはご家庭での様子をお尋ねすることで、その判断の正確さを期する必要もございます。

幼稚園においては、個々のお子さんを見守るのは担任の仕事となりますが、一方には送り迎えの先生の目、外遊びの先生の目といったものもあります。放課後を中心に、それぞれのお子さんの「よりよい人間関係を築く努力」について複数の目で評価し、情報交換しているところです。

園児の登園する山道は厳しく見えても、けっして危険なものではありません。幼稚園という「場」も子どもたちにとって「安楽」なものからのみ成り立つのではなく、ときに涙の出るような「困難」や「試練」も待ち構えているでしょう。そこで働く原理は手をつないで山道を登るのと同じで、大人が安易に手を出して介入してはいけない場面、ただ励まし、見守るほかないという場面が園には多々あります。ただし、それが教育的に意味を持つためには、園としては何より「公正さの原理」を常に維持しなければなりませんし、「試練」が「危害」とならぬよう注意深く見守らなければなりません。

このようなことを心に誓いつつ、お子さんが責任ある人間として成長する「場」としての幼稚園を守り育てていきたい、と思う次第です。その結果、冒頭に掲げた句のように、“いしだんを 毎日のぼり 元気です”と言っていただければ最高ですね。

(2003年5月6日)

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