叱ることと励ますこと──家庭訪問を終えて

前回に引き続き、家庭訪問で頂いたご質問へのお返事パート2です。今回のテーマは、子どものしつけに関するものです。教育以前の問題として、善悪の観念を子どもにどのように教えるのか、当園の考えを以下に述べたいと思います。

たとえば、子どものけんかについてですが、これをゼロにすることは不可能としても、けんかが起きたさい、それを「しつけ」と「教育」の観点で本園がどのように取り扱うのか、という園の基準は厳しく問われる立場にあるといえます。

しつけのねらいとは、してよいことと悪いことの区別、「嘘をついてはいけない」、「他人に迷惑をかけてはいけない」等、や正しい生活習慣を身につけさせることであり、厳密に言えばこの適用に例外があってはいけません。つまり、だめなものはだめ、いけないことはいけない、というメッセージをその都度、子どもにじかに伝えることが肝要です。

この基準を曖昧にすると、ルールを守ろうとする者ほど割を食うことになりますので、クラスの先生は根気よく、まんべんなく子どもたちの言動に注意し、叱るタイミングを逃さないように注意する必要があります。部屋の中、園庭の中はもちろん、時には送り迎えの道中においても、ルールを逸脱した言動については毅然と対処できるよう、先生間で判断基準の確認を行うよう努めております。

この原理は、家庭でも基本的に同じことであると思われます。子どもを取り巻く大人の間でこの「基準」が曖昧であると・・・たとえば、お母さんは厳しいけれども、お父さんは甘い、とか、おじいさん、おばあさんは甘い・・・といったことが起こると、子どもにとって価値の混乱が生じ、善悪の基準が不明瞭になってしまいます。

子どもが家庭での個人の(プライベートな)生活から集団の(パブリックな)生活に順応できるように、言い換えれば、言葉によって人間関係の問題を解決できるよう導くためには、何よりもまず大人の側において──園だけでなく家庭においても──、「甘い」と「厳しい」のムラがないように十分気を付ける必要があります。

「厳しい」とは「怒る」こととは違います。「甘い」だけだと「怒る」ことはできても、「叱る」ことはできないものです。叱るには理性と愛情が要りますが、怒るのは単なる感情の発散です。子どもは怒られると萎縮しますが、叱られることによって、ルールを尊重する責任ある大人への階段を一段昇ることになります。

※タイトルはオリジナルから変更してあります。 (2003年6月17日)

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