キャッチボールの思い出:園長だより

いよいよ夏休み。お子さんが家で過ごされる時間が増え、どのように毎日を過ごせばいいのか、ちょっと一工夫が必要になりますね。”子どもの心が満ち足りる”という観点で、私自身のちょっとした幼年時代の思い出をご披露させて頂きたいと思います。「絵本読みは苦手だけれど、これならいける」と日頃お忙しいお父さんにも参考にして頂けたら嬉しいです(これは、父親参観でふれた内容です)。

私の場合、子どもの頃、父に遊んでもらった思い出といえば、家の中での”キャッチボール遊び”のことが真っ先に思い出されます。それは、グローブと白球を使った本式のキャッチボールではなく、新聞紙をボール大にまるめて作った手製の紙による”キャッチボール遊び”でした(紙製なのは、家具等を痛めないための工夫でした)。

部屋の対角線を使い、相手の胸元に手投げで紙ボールをトスする、といういたって単純な遊びでしたが、父はこのやりとりが何回続くかを大きな声で数えながら、毎晩私の相手をしてくれました。「10、11、12・・・!あっ落とした、ざんねーん!」私は何度「もういっぺん!」とお願いしたことでしょう。父は何度根気強く私につきあってくれたことでしょう。

この遊びは、(1)父にとっては仕事が終わった夜でも家の中で子供と遊べる、(2)子供にとっては、物に集中する気持ちが自然に芽生える、という点にポイントがあるように思います。

さて、あるとき、互いの呼吸がぴったりあって、ボールのやり取りが100の大台を越えたことがありました。”90、91、92・・・!”家中に興奮した父の声が響きます。家族中が二人のやり取りを、息を飲んで見つめます。”99、100、やったー(拍手)、101、102・・・”さらに淡々とボール投げは続いていきます。こうして最後に私がミスをしたとき、心底悔しく思いましたが、しかし同時に、言葉で言えぬ大きな達成感を味わいました。

その後、小学校に上がり、また、中学、高校と勉強が中心の生活が展開していく中で、私は、”これは!”と思える先生にはその先生に必死で食らいついていった記憶があります。その心がまえの基礎は、父とのキャッチボール遊びで培われたのではないかと今にして思います。

キャッチボールと一口に言いますが、相手を信頼するからボールを投げるのであり、相手を信頼するからボールを待ち受けるのですね。つまり、ここには人間関係の基礎となる心の通い合いが認められます。(もちろん、この類の切り口は「園長便り2」でご紹介したように、”絵本を読む”等、他にも無数にあると思います)。

今のご時世、時間がないと嘆く親は少なくないと思いますが、一日5分でよいのです。単純な遊びを親と一緒に繰り返すことは、子どもにとって将来何かに打ち込むための集中力を養うでしょう。また、時間は短くとも、その密度の濃さ故に「親はいつも自分の相手をしてくれた」、「いつも自分を見ていてくれた」というかけがえのない思い出がその子の胸に残ると思います。 

(平成16年7月 園長だより)

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